自分たちの根底には
いつもスポーツがある。
廣野 幼稚園のときに出会ってからもうすぐ半世紀!びっくりするほど長い付き合いになったよね。
吉田 小学校でも3年のとき一緒にサッカー少年団に入って、クラスは5〜6年で一緒になって。
廣野 吉田の周りにはいつも人が集まって、リーダー的な存在感がある人気者だった。
吉田 ただの悪ガキだよ。すぐケンカして、サッカー少年団をやめたのもそれが理由だし(笑)。
廣野 いやいや。吉田のケンカは、いじめられている子を助けるためだった。そこにあるのはいつも正義。
吉田 何が理由だったとしても、たとえ廣野の言う正義だったとしても、手段としては褒められたものじゃない。でもあの頃の俺は、力には力をという手段しか持っていなかったんだな、とは思う。途中でやめてしまったけど、やっぱりサッカーが好きで、いつも試合を見に行っていたのを覚えている。
廣野 寂しがり屋の悪ガキ(笑)。中学に入ったらまた一緒にサッカーをやろうって約束していたのに、なぜか違う部活に入部しちゃったんだよね。
吉田 そうなんだよ!同じクラスになったやつに、背が高いからってバレー部の見学に連れて行かれて。でも行ってすぐ、小6のときテレビで見たバレーボールワールドカップの感動が蘇ってきた。やっぱカッコイイ!って。迷わず入部を決めた(笑)。俺は単純な理由だったけど、廣野は陸上部にスカウト!
廣野 小6のときに出た陸上大会で入賞したのが、顧問だった水野先生の目に留まったらしくて。サッカーを続けるつもりだったけど、走るのは好きだったし、ほめられてうれしかったのかもしれない。この先生の下で陸上をやってみよう!と思った。僕の人生初の転機がここ。先生からいただいた「為せば成る」と書かれた色紙は、人生の指針。今も飾ってある。
吉田 俺も、人生初の転機は間違いなく中学。あれがなかったら今の自分はここにいない。
廣野 中学では部活も違うしクラスも違って、ちょっと縁遠くなるかなと思っていたけど、ならなかったね。
吉田 バンドがつなげてくれた。
廣野 週一のクラブ活動、ギタークラブ。
吉田 それもこれも、きっかけは小6のお楽しみ会。『KISS』のメイクをして披露したコピーバンドがウケて、味をシメたという(笑)。
廣野 そのときはエアーバンドだったけどね(笑)。
吉田 でも楽しかったよな。中2の文化祭では先輩の完璧なアコギ演奏よりも、なぜか俺らのアリスのカバーが受けてた気がするよね。3年の時は静かにやりますとドラムを許可してもらって本番はオフコースのバンドナンバーでガンガンに盛りあがった。
廣野 部活はもちろん真剣だったけど、クラブのバンド活動も結構真剣で、楽しかったよね。
吉田 まさか高校まで続くとは思わなかったけれど。
廣野 高校はお互い陸上とバレーの名門(浜松工業と浜松湖東)に進学したけど、バンドでつながっていた。
吉田 俺の高校生活はバレー漬けだったけれど、たまに参加するバンドは息抜きになったし、楽しかった。